パンデミックと「あやの見た空」

 日本の場合、スペイン風邪は1918(大正8)年8月から1920(大正10)年7月までの間に3回の大流行があり、約39万人が死亡しました。 新千歳市史を開くと、大正8年の千歳村の個数は913戸、人口は4884人で一年間の死亡者数は110人。当時の死因は肺炎・気管支炎が最も多かったとありますから、スペイン風邪の大流行によって多くの方が亡くなったことが読み取れます。

 千島列島では村一つが全滅するという痛ましい記録も残されています。

 「あやの見た空」の冒頭は大正10年。広大な荒地に立った男3人が炭鉱鉄道(現千歳線)の開通を契機に千歳村を盛り上げようと考え、逆転の発想で飛行機の着陸場の誘致を思いつき、ついには村民総出による着陸場建設へと至ります。それは大正15年スペイン風邪の猛威が去ってから5年後のことです。

 千歳市民ミュージカルに携わって感じたことは、この街の財産は「集い合う人々」なのではないかということでした。今般の新型コロナウイルス 大流行も必ず終息します。ただし、今は「集い合う」ことを控えねばならない状況であります。現段階では第2回公演は未定ではありますが、その時がきた時には

「市民ミュージカルやろうぜ!」

と集い合い、心合わせて舞台を作ることができたら素敵ですよね。

どうか無事に「その時」が早く訪れますように。